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『内なるネコ』 ウィリアム・バロウズ 山形浩生・訳、河出書房新社、1,456円 |
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最初にこの本を書店で見かけたとき、まさかネコ好きの本だとは思わなかった。なにしろ作者があのウィリアム・バロウズ(WB)だ。『裸のランチ』の、あのWBだ。ドラッグまみれの、あのWBだ。この本の中でのネコというのはきっと、魔性の比喩か何かに違いない……そう思い込んでいた。 「完全な自伝が書ける人はいないと思う。たとえ書けても、読みかえすのに耐えられる人は絶対にいないはずだ。『わたしの過去は悪の川』」 とんでもない勘違いだった。WBは六十代後半になってから灰色のネコ、ラスキーと出会い、すっかりネコ好きに変貌していた。 「ネコたちとの関係のおかげで、世にはびこるひどい無知から救われた」 「ネコはおなじみさん、精神的な伴侶になれる」 「ネコはサービスなど提供しない。自分自身を提供する」 「あそこからここまでの距離は、わたしがネコからどれほど学んだかを表している」 もちろん最初はネコ好きでもなんでもなかった。 たまたま田舎暮らしをはじめるとネコが何匹か姿を見せるようになった。最初は家に入れるかどうかも迷っていたし、飼うなんて面倒だと思っていた。 けれどのちに当時を振り返り、WBは言う。 「よくあることだが、過去の人生を振り返ると、こう叫んでしまう。『なんてこった。これ、本当にオレか?』こうしてふりかえると、自分がまるで、最低な人物を、もっと醜悪に戯画化した存在のように思えてくる」 「どうして迷惑だなんて思ったんだろう」 やがて灰色のネコ、ラスキーは「わたしのネコ」となり、ラスキーなしの生活など考えられなくなる。 肺炎になったラスキーを病院に預け、何度も電話をかけるWB。 ネコ捕獲用の罠にかかったラスキーを動物管理所に迎えに行くWB。 旅に出るときは信頼できる友達に託し、夢にまで何度も現れる。 驚くほどのネコ好きぶり。 WBにとってネコは、自分の過去の過ち、人類の過去の過ちを写す鏡だ。 「ラスキーを通してはっきりとキキの姿が見えた」 「キキはわたしを捨ててマドリードに行った。去って当然だった。当時のわたしは末期的な麻薬中毒」 「ナチス親衛隊の指導層への参入儀式は、1カ月えさをやり、慈しんできた飼いネコの目をえぐり出すことだった。この訓練は哀れみという毒素をすべて排除し、完全な超人をつくるように考慮されている」 ラスキーと出会ったいま、もはやWBにはこうした過ちは許しがたいものとなる。 「ラスキーの目をえぐれだと? 放射能まみれの空に届くほど賄賂を積まれても御免だ。そんなことをして人の役に立つのか。わたしは、ラスキーの目をえぐるような肉体には住めない」「動物愛のような質的価値を、量的価値に交換するような取り引きは、不名誉なだけでなく、とことん間違っているだけでなく、ばかばかしい。あなたは何も得ないからだ。あなたはあなた自身を売り渡してしまうのだから」 あるいはネコは死に行く未来を、滅び行く人類の姿を写す鏡だ。 「彼らは生きて、呼吸する生き物であり、他の生き物と接触すると悲嘆にくれる。なぜなら、限界を感じるからだ。苦痛、恐怖、そして果てに待ち受ける死を感じるからだ。接触とはそういうこと。ネコに触れるとそれがわかって、涙が頬を流れるのを感じる」 「核の冬……うなる風と雪。老人が、自分の家の残骸でつくった即席の掘っ立て小屋で破れた羽根ぶとん、穴だらけの毛布、汚れた絨毯の中でうずくまる。ネコたちといっしょに」 WBはまるでSFのように、終末後の世界や、悲劇的な未来を幻視する。 そしてそんなところにネコを連れて行くわけにはいかない、という決意を固める。 これほどまでにWBをネコにのめりこませたものは何か? 「フレッチは眠りながらものどを鳴らし、小さな黒い足をのばしてわたしの手に触れる。爪は引っこめてあり、寝ている間もわたしがそばにいるのを確かめるために触れるのだ。夢の中でもわたしの姿を想い描いているにちがいない」 「ウィンピーは転がって、わたしの足に鼻をすりつけてのどを鳴らす。愛している、愛している、愛している。彼はわたしを愛しているのだ」 そう、ネコは「自分自身を提供」してくれる。 そばにいて、信頼してくれるのだ。 「ぼくを愛してくれる人のためなら、だれにでもなれるよ」 ネコが愛してくれるから、WBは変貌した。 人は変われるのだ、六十歳になっても、七十歳になっても。 「わたしたちは内なるネコ。一人では歩けないネコ。居場所はひとつしかない」 きっと少年のころからずっと、WBの「内なるネコ」は待っていたのかもしれない。 「愛してくれる人」を。 May 23, 2001 |
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