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『シティ・オブ・グラス』 ポール・オースター 山本愉美子・郷原宏=訳、角川文庫、420円 |
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168ページまでは、少し寄り道の多いミステリー小説のように進んでいく。 よく読めば少しずつほころびはあるものの、三人称小説として、物語性を維持しているかのように見える。 クィンは、ウィリアム・ウィルソンという筆名で、マックス・ワークという探偵が主人公のミステリー小説を書いて暮らしている。 ある夜、クィンのもとに「ポール・オースター」という名の探偵にあてた間違い電話がかかってくる。出来心からその依頼を受けてしまったクィンは、依頼人を狙っているかもしれないとされる依頼人の父親、ピーター・スティルマンを尾行することになる。 長く奇妙な依頼人の話、無駄に思える尾行相手の論文の下調べ、意味もなく続く尾行相手との会話……登場人物の誰もが書くことや言語について語りはじめ、そのどれもが事件の手がかりにはならない。 だがこの寄り道はまだなんとか物語の体裁を保っていて、物語の構成を破綻させるまでにはいたらない。 問題は169ページからはじまる「11」だろう。 ここで主人公クィンはゆっくりと狂気に向かって進みはじめる。なぜか自分で自分を、破壊しはじめるのだ。 かつて誰かがこんなことを言っていた。物語には二種類しかない、と。 問題が共同体の内部に発生し、それが解決され秩序が回復する「ミステリー型」と、問題が共同体の外部から到来し、それが解決され秩序が回復する「SF型」。 どちらも最後に秩序が回復し、共同体が強化される仕組みになっている、と。 もしもこの説に乗っ取るのならば、『シティ・オブ・グラス』は「ミステリー」を破壊する小説だろう。進めば進むほど秩序はなくなっていき、物語は解体されていく。クィンの自我は崩壊し、共同体はその危うい姿を露呈する。 やがてニューヨークは浮浪者たちに埋め尽くされる。 きっとクィンは、この事件に巻き込まれる前に、すでに破滅していたのかもしれない。 突然の事故により妻子を失い、かつて持っていた文学への野望も失い、熱意もなく、ただ、ミステリーを書いている。そしてあてどもなくニューヨークの街を歩き回る日々。 「気が乗っているときは、自分がどこにも存在しないように感じられた。そして、それこそ彼が求めてきた状態だった。どこにも存在しない事。ニューヨークは、彼が作り上げたその非在の場所だった。そして彼は二度とニューヨークから離れられないと思った」 最後に訪れる破局は、それが現実になったものに過ぎない。 あと4ページ、というところで突然、この物語の語り手である「わたし」が登場する。「わたし」とは誰なのか? この物語がクィンの残した赤いノートをもとに「わたし」が再構成したものならば、物語のどこが想像の産物で、どこが事実なのか? あるいはこの物語はすべてクィンの想像の産物だというのだろうか? それともクィンのことを「わたし」に話した「ポール・オースター」の創作だというのだろうか? こうして物語はその前提のすべてを破壊され、こなごなに砕け散る。 箱の中には箱がある。またその中にも箱が、その中にも箱がある。 何度箱を開けつづけても、その行為に終わりはない。 「本物のわたし」はどこにもいない。 March 7, 2001 |
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