MD−01

 

『愛人』 マルグリット・デュラス

清水徹・訳、河出書房新社、580円(文庫版)

 

L−019

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一家は悲惨な状態だった。

父親は若くして病死。

上の兄は暴力的で、いつ下の兄を殴り殺してしまうかわからない。

母親は全財産をつぎ込んで土地を購入するが、役人に賄賂を渡すという慣習を知らなかったために使い物にならない区画を押しつけられる。

こうして一家は破産状態におちいってしまう。

そして母親は絶望する。

 

「母は、わたしたちが母の絶望の姿を見たその瞬間から、いったいどうなってしまうか、それを予見していなかった」

 

「あんなに愛すべき母、ひとを信じて疑うということを知らぬ母に、いったいひとは何ということをしたのだ、――それゆえにわたしたちは人生を憎む、わたしたちはたがいに憎みあう」

 

 

『愛人』はマルグリット・デュラス(MD)が晩年になって改めて執筆した、自伝的作品だ。

特に平易な作品ではないにもかかわらず、なぜかその本はベストセラーとなった。

けれどいま読み返してみても、わたしにはなぜこの本がそんなに売れたのかがわからない――この本はMDのほかの作品と同じように、ひどく語りづらい。とらえどころがない。

きっとMDはわざと「とらえどころのないこと」をテーマに選んでいるのだ、わたしにはそうとしか思えない。

 

 

そこはまだフランス領だったころのヴェトナムだ。

「わたし」の家庭は白人としてはもっとも貧しい層に属している。このままではどうにもならない状態。二人の兄は勉強もできず、この家庭を救ってくれるとは思えない。

 

そして十五歳のとき、「わたし」は大金持ちの中国人の男に声をかけられる。

すぐに「わたし」はその男の愛人となる。

 

 

いや、物語はそんなふうに整然と進んでいくわけじゃない。

「わたし」にとってすべては分かちがたく絡み合っている。あるいは、すべてのエピソードはアルバムの中の写真のように、交わらず平行に存在している。

そして気まぐれにアルバムをめくるように時間と空間を移動し、あるいは一人称と三人称を自在に変換しながら、この小説は進んでいく。

 

「わたしの人生の物語などというものは存在しない。そんなものは存在しない。物語をつくりあげるための中心などけっしてないのだ」

 

そう、こんなふうに貧しい生活だったから、こういう愛人ができた……そんなふうに簡単には言い切れない、なにか説明のつかないできごと。とらえどころのないできごと。

 

 

愛人と「わたし」の関係は奇妙だ。

「愛している」と告げるのは愛人。

金を与えるのも愛人。

性的に奉仕するのも愛人。

たしかにそれは、性的な関係が中心になっている。けれど「わたし」は何一つ与えてはいない。何一つ売り渡していない。

 

「この男はわたしがどんな人間か知らない、わたしのことをこれからもけっしてわからないだろう、これほどの頽廃、それを知る手段はこの男にはない、と。そして、彼女をつかまえようとして、あちらこちらとじつにたくさんの、たくさんの回り道をする、そんなことをしてみたって、この男にはけっしてつかまえられないだろう」

 

「わたし」は最初からきっぱりと愛人を拒絶する。

 

「彼女は男に言う、あなたがあたしを愛していないほうがいいと思うわ」

 

 

不思議なことにこうして「わたし」が拒絶するにもかかわらず、愛人は「わたし」との結婚を考えている。「わたし」の家族にも、愛人の家族にも反対されているにもかかわらず、愛人は結婚について考えつづける。

そして、「わたし」がフランスに戻ったあとも、愛人は決して「わたし」を忘れることはない。

 

「男は女に言った、以前と同じように、自分はまだあなたを愛している、あなたを愛することをやめるなんて、けっして自分にはできないだろう、死ぬまであなたを愛するだろう」

 

 

そしてあれほど完全に拒絶していたにもかかわらず、ヴェトナムからフランスに戻る船の上で、「わたし」の確信もまた突然揺らぐ。

 

「それから彼女は泣いた、あのショロンの男のことを想ったからだった、そして彼女は突然、自分があの男を愛していなかったということに確信をもてなくなった、――愛していたのだが彼女には見えなかった愛、水が砂に吸い込まれて消えてしまうように、その愛が物語のなかに吸いこまれて消えていたからだ、そしていまようやく、彼女はその愛を見出したのだった」

 

これは愛だろうか?

それとも、他のなにか?

 

 

いや……それが愛だと確信できるものなのなら、あるいは愛ではないと断定できるものなら、それはもっと平易な言葉で語ることができたのかもしれない。

だからたぶん、それが愛だったのか、それとも愛とは別のなにかだったのか、その答えはMDにもわからないのだろう。そしてわからないからこそMDはこの物語を書かなければならなかった――わたしにはそう思える。

 

 

 

July 21, 2001

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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