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『ムッシュー』 ジャン=フィリップ・トゥーサン 野崎歓・訳、集英社、1,000円(文庫版460円) |
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L−023 |
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主人公の名前はムッシュー。まだ三十歳にもならないのに有名自動車メーカーの営業課長となり、自分のオフィスをもらっている。仕事は楽々こなしているし、人に好かれるタイプでもある。会社の中ではとにかく控えめにすごしていて、会議中も極力専務の視界に入らないように努力する。なのにムッシューは周囲の社員に若手のホープだと思われている。 ムッシュー。なんだか抽象的な名前に、抽象的な人生。 もちろん、ムッシューの人生にも問題は起きる。 なぜか突然、知らない人に突き飛ばされてけがをしたり、婚約者が妻子ある男と不倫に走って捨てられてしまったりする。 けれどムッシューはめげない。けがをすれば会社を休み、ついでに旅行にでかけてしまうし(旅行に行けるんなら仕事もできるんじゃないの?)、婚約者と破局しても一向に気にせず、まだ婚約者の両親と一緒に暮らしていたりする(なぜか新しいアパルトマンをさがそうとしないので、ついには婚約者の両親が引っ越し先を手配してくれる)。 ひょっとして、感情などないのかと思うような淡白な性格の、ムッシュー。 人にわずらわされることがあっても、「いろんな人が、いるもんです」の一言でするりとかわしてしまう。 そんなムッシューにある日、最強の天敵が現れる。新しいアパルトマンの隣の住人、押しの強い男、カルツだ。 カルツは「ものを断れない性格」であるムッシューに有無を言わさず自分の仕事を手伝うと約束させ、ムッシューの休日を占領してしまう。ムッシューはそのあつかましさに閉口するが、生来の控えめな性格が邪魔をして、どうしても強く拒絶することができない。 「ムッシュー、そう、何についてであれ、押しの弱い男」 そしてムッシューは、カルツに振り回されることになる。 アンラッキーな、ムッシュー。 いや、そうじゃない。 ムッシューはアンラッキーなわけじゃない。 カルツはわたしたちの人生でおなじみの存在だ。 どこの職場にも、どこの学校にも、どこの自治会にもいる押しの強い「カルツ」たち。誰もが困っているのにまったく気づかず、迷惑な計画を押し進めていく。突然わけのわからない集合をかけたり、わずらわしいイベントを決行したり、なぜかおいしいところでだけしゃしゃり出てきたりする「カルツ」たち。 どうして「カルツ」は、相手が迷惑だと思っていることに自分から気づいてくれないのだろう? どうしてムッシューはカルツに何か悪いことをしたわけではないのに、カルツに悩まされなければならないのだろう? 「違うのだ。まったく手詰まりの状況なのだった」 仕方なくムッシューは引越ししようとするが、引越し先の居心地もけっしていいものとはいえない。 結局、ムッシューは最後までカルツと対決することはない。とにかく消極的に逃げ回る。 そして、ラッキーなことにカルツはこの物語の中からだんだんと消えていく。カルツと鉢合わせしないように気をつけたり、出入りするときにあまり音を立てないようにドアを閉めるように注意しただけで。 わたしたちの住むこの現実の世界では、そんな消極的な作戦で「カルツ」が勝手に消えていくことなどありえないのに。 そう、たぶんこれはおとぎ話だ。 疲れたわたしたちが羽を休めるための。 だからここに出てくるカルツはこの世界にふさわしく、ほほえましい困り者なのだ。 そういうわけでムッシューはこれからも「お茶の子さいさい」で人生を送っていくだろう。 まったく控えめなままで。 November 9, 2001 |
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