HG−09

 

『犬たち』 エルヴェ・ギベール

佐宗鈴夫・訳、集英社、1,100円

 

L−013

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八十年代はSMが脚光を浴びた時代だった。ゴルチエのファッションがもてはやされ、メイプルソープの写真が絶賛されていた。

『同性愛と生存の美学』でフーコーは、「サド・マゾは、苦しむ男(あるいは女)・苦しませる男(あるいは女)との間の関係ではなく、主人と、彼が支配を行使する者との間の関係なのです。サド・マゾの実践者たちの興味をそそるのは、その関係が同時に規定され、開かれているということなのです」と言い、従来の性幻想からの脱却の可能性を示唆している。

レイプ・ファンタジーよりもSMファンタジーのほうがまし、それは書き換え可能なゲームなのだから、というわけだ。

 

九十年代に入ると脳の仕組みが解明され、SMの神秘は消えうせることになる。過度の苦痛がベータ・エンドルフィン(脳内麻薬)の大量分泌を誘発する、というメカニズムが広く知れわたるようになったからだ。同時に、修行僧が過酷な苦行の末に受けとる啓示も、死の瀬戸際から生還したものが報告する臨死体験も、すべてはベータ・エンドルフィンによるものだと判明する。

そしてすべての神秘体験は、その輝きを失うことになる。

 

 

『犬たち』は、最初から最後まで性描写で成り立っている小説だ。性描写と言うより性的な妄想と言ったほうがいいかもしれない。

「彼」と「彼女」の性行為をどこか上のほうを漂いながらのぞき込む「ぼく」。

「ぼく」と「彼」が行う、実現可能なのか疑わしいほどの激しいSMプレイ。

体操器具のようなものにぶらさがる彫刻のように見事な若者たち。

飢えた犬である「ぼく」ともう一匹の犬が繰り広げる肉の奪い合い。

四つの妄想はたがいに平行に存在していて、物語はそれぞれの妄想のあいだを脈絡なく行き交う。

 

 

HGが自ら「短いポルノ小説」と表現したこの作品は、人間関係を性的な面にしぼって描いた一種の実験小説だ。この作品には人物描写がほとんど存在しない。登場人物の履歴もおたがいの関係も、一切明らかにされず、心理描写もなく、外見の描写も抽象的だ。

 

人物描写が存在しない以上、権力関係も存在しない。「ぼく」と「彼」の役割は途中で交代し、苦しむものと苦しませるものの関係として固定されることはない。どんなに激しい性描写も、決してレイプ・ファンタジーにおちいることはない。純粋なSMファンタジーを維持している。だからこの小説は巷に蔓延しているような「つくすもの」と「つくされるもの」だの、「守るもの」と「守られるもの」だのが固定しているドラマや漫画やよりも、ずっとすがすがしい世界を構成している……。

 

 

と、ここまで書いてみたものの、こんな説明ではこの小説の中にある強度の暴力は語りつくせないという気がしてきた。この小説の中にはどこか痛々しいもの、過剰なものが存在する。ただ貪欲に快楽を追求するだけ、というのは見せかけの姿に過ぎない、そこにはもっと切実な理由がある、と。

 

 

「おまえたちはまさしく飢えた犬だ。へどで窒息させて、血が垂れないよう、鼻をビニールで包み、容器に入れて、スポンジをつめ、狩猟の獲物よろしく逆さ吊りにする以外、なんの値打ちもない」

 

 

『犬たち』が書かれた一九八二年はHGにとって、大きな転機だった。それまでに二冊しか作品を発表していなかったHGは、この年突然、一年間で三冊もの小説を出版する。

 

『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』の中でHGは八二年の出来事として、最愛の人ジュール(=T)の子どもが流産するという悲劇について記している。

 

「ぼくはひどいショックを受け、変わりにこの身体の中に否定的な力、≪恐ろしい病原菌≫を培養してくれとジュールに頼んだほどである。その夜、ロウソクのともされたアムステルダムのレストランで、ぼくは涙にくれながら彼にそう言ったのだ。彼はあきらかにその願いを聞き入れてくれなかった。ぼくは殴られ、屈従させられ、調教されることを夢見ていた。彼の奴隷になりたかった。断続的にぼくの奴隷になっていたのは、彼のほうだった」

 

 

プロザックを飲んでうつ症状が緩和すると、その力で自分は本当に自殺してしまうかもしれない――そんなふうに恐れていたHGにとって、過度のSMプレイがもたらすベータ・エンドルフィンは生きていくのに必要なクスリだったのかもしれない。才能にめぐまれた若者がうつ状態になる理由はいくらでもある。才能にめぐまれたぶんHGは繊細だっただろう、フーコーに認められつづけるためには自分に厳しくなければならなかっただろう。

 

でもハイになればなるほどその反動は強くなる、というのに。

次はもっと恐ろしいうつ状態が待っている、というのに。

 

 

神秘体験を失ったわたしたちは、これからどこへ行くのだろうか。もうこの世界には啓示も、神も存在しない。深遠も救済も存在しない。

ただ無意味で物理的な現実が存在するだけだ。

 

 

May 11, 2001

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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