Fou de Hervéエルヴェ・ギベール関連作家リスト |
◆ フランスの哲学者 | ||||||
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◆ ミシェル・フーコー ( Michel Foucault ) | ||||||
――今では、旅に出るときにはいつも彼(ミシェル・フーコー)の本を持っていきます。彼にも一緒に来てもらうため 「インタビュー エルヴェ・ギベールとその分身」 |
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『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』の中の登場人物、「ミュージル」がミシェル・フーコー(MF)である、というのは 有名な話。この作品の中でフーコーの死因がエイズであったことを暴露したことで、エルヴェ・ギベール(HG)は一気 にベスト・セラー作家の仲間入りをはたした。死期が迫っていたHGにとって、その成功はありがたいことだったのだけ れど(おかげで邦訳も出たわけだし)、そのせいですっかりスキャンダル作家のレッテルを貼られてしまった。けれどH Gが何もかも書いてしまうのは、秘密を暴露して断罪するためではなく、何かを隠しているのは偽善だと感じているか ら、らしい。エイズで死ぬことは恥ずべき死などではない、HGはそう思っていたのかもしれない。 |
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◆ 『性の歴史 T 知への意思』 | 渡辺 守章 訳 | 1986 | 新潮社 | ![]() |
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◆ 『性の歴史 U 快楽の活用』 | 田村 俶 訳 | 1986 | 新潮社 | ![]() |
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◆ 『性の歴史 V 自己への配慮』 | 田村 俶 訳 | 1987 | 新潮社 | ![]() |
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◆ 『同性愛と生存の美学』 | 増田 一夫 訳 | 1987 | 哲学書房 | ![]() |
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――一九七七年のはじめにぼくと知り合うまえから、彼は行動の歴史の執筆にとりかかっていた。……(中略)…… この新しい著作によって、彼は性に関するコンセンサスの根本を崩壊させると同時に、自分自身の迷路の回廊に地 雷を敷設しはじめた。 |
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『ぼくの命』の「13」に出てくる「行動の歴史」とは『性の歴史』のこと、というのももちろん有名。全六巻だと言われてい たこの書物は、残念ながら完成することはなかった。不思議なのは、序論である第一巻はそれまでのMFの華麗な 文体で書かれていたのに、その後に続いた第二巻(古代ギリシャの研究)と第三巻(古代ローマの研究)はともに平 易な文体で書かれていたこと(といってもわたしの大学時代の形而上学概論(!)の先生は第二巻だけ読んで「むず かしい」と言っていたけれども)。『ぼくの命』を読むと、そのあたりの事情が垣間見られる。また、『性の歴史』を読む のはしんどい、という方は、この時期のMFのインタビューを集めた書物、『同性愛と生存の美学』を読んでみると雰囲 気がわかる。(……と言っても平易とまではいかないんですが。まあ一応わかりやすい、ということで) |
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◆ 『作者とは何か』 | 清水 徹、豊崎 光一 訳 | 1990 | 哲学書房 | ![]() |
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◆ ロラン・バルト ( Roland Barthes ) | ||||||
――家に帰ってみると、郵便受けにバルトからの手紙が届いてるじゃないですか。あんなに嬉しかったこともありませ ん。彼はぼくの本を読んでくれて、手紙を書いてくれたわけです。「エクリチュールとファンタスムの関係について、あ なたとお話がしたい。ただし、会って話すのではなく、文通によって」とありました。 「インタビュー エルヴェ・ギベールとその分身」 |
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一般にはHGと言えばMFとの関係を指摘される場合が多いが、作品の上ではむしろロラン・バルト(RB)とのつなが りのほうが深いだろう。といっても、RBはHGに助言を与えたりしてを指導してくれることはなかったらしい。なにしろ RBは「きみのことは少しも心配していないよ、きみのエクリチュールの魅力を信じているからね」と言っていたらしい から。そこまでほめられるとうれしいを通りこして逆にプレッシャーがかかってしまい、内心HGは冷や汗ものだったら しい。(……とはいえ、うらやましい話ですね) |
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◆ 『恋愛のディスクール・断章』 | 三好 郁朗 訳 | 1980 | みすず書房 | ![]() |
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――昨夜、ヴァンサンを待ちながら、『恋愛のディスクール・断章』を興奮して読みかえす。ぼくは、バルトが書いてい ることをせっせと現実に追い求めているようだ。 |
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『恋愛のディスクール・断章』はゲーテの『若きウェルテルの悩み』の分析を中心とし、自らの体験を交えつつ恋愛に ついて考察した書物で、RBの最晩年の作。もはや「批評」の枠にとらわれず、個人的な体験を交えて語るその作品 は、小説のような読後感を与えている。HGとの関係では、『ヴァンサンに夢中』との結びつきが強い。『ヴァンサン』で HGは『恋愛のディスクール』でRBが他者の書いた作品に基づいて行ったことを、自らの日記を使って試みた、と言え るかもしれない。しかもHGは、日記を現在から過去に向かってさかのぼることで、RBの言う「恋愛物語」に陥ることを 巧みに避けている。また、どちらも恋人からの電話をひたすら耐えて待ちつづけるという場面が繰り返されるのが印 象的。 |
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◆ 『明るい部屋』 | 花輪 光 訳 | 1985 | みすず書房 | ![]() |
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――それにぼくも写真について本を書いています。 「インタビュー エルヴェ・ギベールとその分身」 |
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HGの『幻のイマージュ』の中に『明るい部屋』への直接の言及はないが、明らかにこの本を意識して書かれているこ とは上記の発言を見るまでもなくわかる。どちらも「写真と死」について論じているし、「母親の写真」について論じてい る。この本の中でRBは、映画論とも絵画論とも違う、独自の写真論を目指している。 |
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◆ 『彼自身によるロラン・バルト』 | 佐藤 信夫 訳 | 1979 | みすず書房 | ![]() |
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――ぼくはバルトが好きでしたから。とくに『バルト自身によるバルト』が大好きでした。彼の最高傑作ではないかもし れませんが。 「インタビュー エルヴェ・ギベールとその分身」 |
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『恋愛のディスクール・断章』『明るい部屋』と並んでロマネスク三部作と呼ばれるRBの最晩年の作。この本で扱って いるテーマは、ずばりRB本人。……というわけで、ある程度RBの作品を読んでから読もう、と思ったわたしはまだ読ん でいなかった……。このページを作るにあたってあわてて入手しましたので、頑張って読みたいと思います。 |
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◆ フランスの作家 | ||||||
◆ ジャン・ジュネ ( Jean Genet ) | ||||||
――ぼくにとってジュネとは、絶対の自由です。つまり、何を書いたってかまわないんだと教えられたのです。罪人で あるがままにね。 「インタビュー エルヴェ・ギベールとその分身」 |
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HGの小説には、まず作中の「現実」の世界があり、そこから作中の「ぼく」が書いた「小説」に移行する、という「入れ 子構造」のものがあるけれど、ジャン・ジュネ(JG)の小説にも同様に、「現実」と「空想」が「入れ子」になっているもの がある(わたしの読んだ中では『葬儀』など)。また、『召使と私』の召使がメトレ感化院出身という設定になっているの も、JGがメトレ感化院出身であることを連想させる。 |
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◆ 『泥棒日記』 | 朝吹 三吉 訳 | 1968 | 新潮文庫 | ![]() |
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◆ 『ブレストの乱暴者』 | 渋澤 龍彦 訳 | 2002 | 河出文庫 | ![]() |
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◆ 『葬儀』 | 生田 耕作 訳 | 2003 | 河出文庫 | ![]() |
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◆ ジョルジュ・バタイユ ( Georges Bataille ) | ||||||
――他に重大な体験というと、バタイユです。……(中略)……バタイユ、ジュネ、この辺がぼくの先生でした。 「インタビュー エルヴェ・ギベールとその分身」 |
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HGの影響を受けた作家が「バタイユ、ジュネ」というのは、こんなにはっきり答えてくれなくても読めばわかる話だろ う。けれど同じように悪や性を扱っていても、バタイユのほうがかなり大まじめな感じがする。時代の差だろうか? |
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◆ ピエール・ギュヨタ ( Pierre Guyotat ) | ||||||
――『お前は僕に幻を生んでくれた』という本を書いたとき、ぼくはギヨタのように、二人の青年の恋を交互に描こうと 思ったのです。 「インタビュー エルヴェ・ギベールとその分身」 |
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◆ 『エデン・エデン・エデン』 | 榊原 晃三 訳 | 1997 | ペヨトル工房 | ![]() |
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『エデン・エデン・エデン』はRBが序文を書いた小説で、発禁になっていたりもしたいわくつきのもの。わたしは入手 しましたが、まだ読んでません。とほほ。(「Le Parti pris des lettres」にこの本の書評があります) |
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◆ ジョルジュ・ベルナノス ( Georges Bernanos ) | ||||||
◆ 『田舎司祭の日記』 | 渡辺 一民 訳 | 1999 | 春秋社 | ![]() |
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――ベルナノスの『田舎司祭の日記』を初めて読んで、凄い小説だと仰天したのもこのころなのです。 「インタビュー エルヴェ・ギベールとその分身」 |
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これも入手しましたが、まだ読んでません。とほほ。 | ||||||
◆ オーストリアの作家 | ||||||
◆ トーマス・ベルンハルト ( Thomas Bernhard ) | ||||||
――ぼくはこのトーマス・ベルンハルトが大嫌いだった。ぼくなんかよりも明らかにすぐれた作家だけれど、作品に古 色をつけたり、アレンジしたりするだけの男、原稿を水増しする屁理屈屋でしかなかった。三段論法による自明の理 の大ファン。肺病病みの童貞。相手をじらして、物事をはぐらかす男。重箱の隅をつついて、ザルツブルク人を攻撃す る男。……(中略)……ぼくは無謀にもトーマス・ベルンハルトとはげしいチェスのゲームをはじめていた。ベルンハル トがぼくに転移したのである。それは血液内のリンパ球を破壊し、免疫機能、T4細胞を崩壊させるHIVの進行に似 ていた。 『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』 |
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『ぼくの命』の「73」でHGが、トーマス・ベルンハルト(TB)をエイズ・ウィルスにたとえた、というのは有名な話で、ここ で指摘するまでもない……のだけれど、やっぱりTBに関しては、この個所の引用しか考えられなかった。とにかくこ の悪態の羅列ぶりがTBへの傾倒を物語っている。 |
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◆ 『破滅者』 | 岩下 眞好 訳 | 1992 | 音楽之友社 | ![]() |
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――或る日グレン・グールドが「ゴールドベルク変奏曲」を弾いているのを聴き、ピアノの名手になることを諦めた作中 人物ヴェアタイマーとは逆に、ぼくは天才の明晰さにたいし負けを認めたくなかった。 『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』 |
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『破滅者』はグレン・グールドを扱っているおかげで日本でもある程度売れていたようだが、実は小説全体がバッハの 「ゴールドベルク変奏曲」と同じ構造になっていて、しかしも原文には改段落がほとんどない……という難物。また、作 中のグールド像も実在のグールドとは少し違う、という虚実ないまぜのしろもの。けれどそのあたりがHGとの共通 点。また、スキャンダル作家であったことも似ている。全編、他人の非難で固められているにもかかわらず、どういうわ けか読んでいてまったく不快感がない、という不思議な作風。ちなみに上記の引用にある「ヴェアタイマー」という名前 は岩下訳では「ヴェルトハイマー」になっている。 |
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◆ 『ヴィトゲンシュタインの甥』 | 岩下 眞好 訳 | 1990 | 音楽之友社 | ![]() |
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◆ 『消去 上』 | 池田 信雄 訳 | 2004 | みすず書房 | ![]() |
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◆ 『消去 下』 | 池田 信雄 訳 | 2004 | みすず書房 | ![]() |
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◆ ペーター・ハントケ ( Peter Handke ) | ||||||
――ザルツブルグまでペーター・ハントケに会いに行き、かつてないほど本心を曝け出してくれたインタビューをものに した。 |
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ペーター・ハントケ(PH)は『エルヴェ・ギベール写真書物』にその写真が載っているので、直接の面識があるらしいこ とは知っていたのだけれど、このページを作るに当たって『赤い帽子の男』を読み直してみて、この個所に行き当たっ た。それによるとHGは「ロートル・ジュルナル」という雑誌のためにPHを取材したらしい。PHは映画「ベルリン・天使 の詩」の脚本家として有名。(これのハリウッド・リメイク版が「シティ・オブ・エンジェル」)現在新刊で入手できる主な 代表作は、『左ききの女』『反復』など。 |
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◆ 『幸せではないが、もういい』 | 元吉 瑞枝 訳 | 2002 | 同学社 | ![]() |
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◆ 『左ききの女』 | 池田 香代子 訳 | 1989 | 同学社 | ![]() |
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◆ 『反復』 | 阿部 卓也 訳 | 1995 | 同学社 | ![]() |
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◆ 『空爆下のユーゴスラビアで』 | 元吉 瑞枝 訳 | 2001 | 同学社 | ![]() |
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◆ 『こどもの物語』 | 阿部 卓也 訳 | 2004 | 同学社 | ![]() |
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◆ スイスの作家 | ||||||
◆ ローベルト・ヴァルザー ( Robert Walser ) | ||||||
――あまり難しすぎないもの(カール・セイリグとロバート・ワルサーの『散策』を、少しでもまた読もうとする。うっとりす る! |
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ここでロバート・ワルサーと書かれているのはローベルト・ヴァルザー(RW)のこと(クヌート・ハムスンの項での引用 にあるワルサーもRWのこと)。ちなみにカール・セイリグはカール・ゼーリヒだそうです。(「Le Parti pris des lettres」 の管理人、松本氏に教えていただきました) 『ヴァルザーの詩と小品』のあとがきによると、カール・ゼーリヒはRWを取材したジャーナリストであり、この本は『R・ ヴァルザーとの散策』というタイトルで、RWの死後にカール・ゼーリヒが出版した本らしい。 |
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◆ 『ヴァルザーの詩と小品』 | 飯吉 光夫 訳 | 2003 | みすず書房 | ![]() |
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◆ ノルウェーの作家 | ||||||
◆ クヌート・ハムスン ( Knut Hamsun ) | ||||||
――有益な作家は幾人かいると思う。ハムスン、ワルサー、ハントケ、逆説的だがベルンハルトも文才を活かしきる 点でこちら、一方有害なのは、もちろんサド、ドストエフスキーも? 今の僕としては前者のカテゴリーに属したい。 『サイトメガロウイルス』 |
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『赤い帽子の男』の堀江敏幸の訳者あとがきによると、HGは「エクリチュールの究極の模範をクヌート・ハムスンに見 てい」たらしい。ノルウェーの作家で、ノーベル賞を受賞している……のだけれど、ハムスン、いま新刊では一冊しか手 に入りませんっ。(ちなみに、1920年にノーベル賞を受賞したあと、ナチスに協力した、ということで評価を下げてしまっ たらしいです。うむむ) |
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◆ 『牧神―グラーン中尉の物語』 | 中村 都史子 訳 | 1978 | 公論社 | ![]() |
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◆ ロシアの作家 | ||||||
◆ アントン・チェーホフ ( Anton Pavlovich Chekhov ) | ||||||
――十二月二十日木曜日。タクシーを駆ってノヴェデヴィッチ墓地に向かう。……(中略)……レナの指示通り右手の 古びた石門をくぐり、チェーホフの墓地を探してみた。……(中略)……チェーホフの墓は一種の丸みを帯びた小さな家 で、三つの黒い剣先が空に向かって伸び、墓石をくり抜いてはめこんだ銅製の扉は閉じられていた。……(中略) ……その記念建造物と、自分がこの作家に対して抱いている愛とのあいだに、ぼくはいかなる繋りも、いかなる種類 の感情も通わせることができなかった。 『赤い帽子の男』 |
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実はわたしは、チェーホフを読んだことがない。しかしHGがわざわざ墓参りに行くぐらい好きな作家だから、とりあえず 一冊ぐらいは読まなきゃ、といま猛反省していたりする……。どうして読んでいないのかと考えてみると、ドストエフス キーを読んで気に入らなかったせいでロシア文学に興味がなくなったせいだ、と気がついた。偏狭すぎる……。 |
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◆ 日本の作家 | ||||||
◆ 夏目漱石 | ||||||
――チェーホフ、レスコフ、バーベリ、ブルガーコフ、ドストエフスキー、ソウセキ、タニザキ、シュティフター、ゲーテ、ム ージル、カフカ、ウンガー、ヴァルザー、ベルンハルト、フローベール、ハムスン…… 『憐れみの処方箋』 |
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これはHGの愛する、死んだ作家の名前を列挙しているところだが、日本の作家が二人も入っていることに驚いてしま う。ちなみに『憐れみの処方箋』には「ヤスシ・イノウエ」という名前もあがっており、HGが日本文学を好んでいたことが わかる。たぶんわたしよりたくさん読んでいるだろう。わざわざ西芳寺(苔寺)にいく人なので、たいていの日本人より 日本文化に詳しかったりするのかもしれない。 現在フランスのアマゾンで夏目漱石を検索してみると、十数冊の本がヒットする。売上順で一位なのは『我輩は猫であ る』だった。わたしたちが思っているより読まれているらしい。 |
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◆ 『こころ』 | 1952 | 新潮文庫 | ![]() |
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――手荷物はプレゼントとして数冊の本が入った贈答用の包みだけだった。アーダルベルト・シュティフター『老独身 者』、イサーク・バーベリ『初めての原稿料』、ナツメ・ソウセキ『こころ』。どれも五年後、コルフ島へヤニスの妻のために 持っていった本と同じだ。趣味は相変わらずだったのだ。 『赤い帽子の男』 |
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HGが『こころ』を好きだ、というのはわたしにとって意外だった。しかしよく考えてみると、後半の手紙の部分が前半よ りも過去にさかのぼっていることや、自殺がかかわっていることなど、HGの好みのエピソードに満ちているような気も する。そう言えばアメリカのゲイのあいだでは、この小説はゲイの話だと思われているという噂をきいたことがあるの で、そのあたりもHGの好みにあっていたのかもしれない。そう思って読んでみると、そんなふうにも読める……。 なお、この引用個所ではシュティフター、バーベリについても語っているが、どちらの本も現在新刊での入手は不可ら しい。また、過去に翻訳が出ているのかどうかもいまのところ不明。 |
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◆ 谷崎潤一郎 | ||||||
ヨーロッパでは谷崎潤一郎(TJ)の評価が高いらしい……と、いつも噂に聞くけれど、なぜかわたしは未読のままに なっている。なぜだろう?と考えてみたら、高校の現代国語の教科書に載っていなかったせいだ、と気づいた。日本 文学の知識が、十代の頃からさほど進化していないわたし。一体何をしていままで暮らしてきたのだろう……。 |
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◆ 『鍵・瘋癲老人日記』 | 1968 | 新潮文庫 | ![]() |
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当サイトの「エルヴェ・ギベール☆ランキング」によって、日本での人気が高いことが判明した(?)『召使と私』。この 作品とTJの『鍵』は似ているらしい。(「Le Parti pris des lettres」の管理人、松本氏に教えていただきました) わたしはまだ読んでないんですけど、『召使』好きの人はぜひ読んでみてください。 |
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◆ 森鴎外 | ||||||
◆ 『ヰタ・セクスアリス』 | 新潮文庫 | ![]() |
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HGはジャーナリスト時代に、『L'Autre
Journal』誌に「Vita sexualis, 1910-1930」という記事を書いている。(これも 「Le Parti pris des lettres」の管理人、松本氏に教えていただきました) |
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とりあえず代表的な作家のみで構成しました。先々増やしていく予定です。
ご意見・ご感想など、ございましたらお気軽に、メールフォームまたはBBSにてどうぞ。 また、わたしが書評を書いた本については書名に書評へのリンクを張りましたので、よろしければ参考にしてください。 右端の「GO」をクリックするとAmazon.co.jpの該当書籍購入のページにジャンプします。 なお、邦訳・英訳・原書を網羅した「エルヴェ・ギベール著作リスト」はこちら。 ギベールの作品に一言添えて投票できるエルヴェ・ギベール ☆ ランキングはこちらです。 原書に一言添えて投票できる西ヨーロッパ言語バージョンのランキング、Hervé Guibert Voteはこちら。 |
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