HG−01

 

『楽園』 エルヴェ・ギベール

野崎歓・訳、集英社、1,456円

 

L−001

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作品はエルヴェ・ギベール(HG)にしてはめずらしく、完全に虚構の世界を描いた小説のようにはじまる。

 

恋人ジェーンは女性で、「ぼく」はスイス人。体の調子はおかしいが、HIVに感染しているわけではない。HGとは正反対だ。小説家と称しているが、作品を書いたことなどなく、使い切れないほどの資産を死んだ父親から譲り受け、いまはカリブ海のマルチニーク島にいる。

何不自由のない生活。

だが元背泳のチャンピオンだったというジェーンは、海中でサンゴ礁に打ち付けられ、腹を裂かれて死んでしまう。

 

「ぼく」はジェーンの死んだ浜辺で、疲れ切ってマンサリニアの木の下に座っている。すると雨が降ってきて、しずくが葉から顔にたれてくる。そのしずくを「ぼく」は飲む。

だがその後、マンサリニアのしずくは脳を破壊する、人を狂人にするのだ、と聞かされる。

 

「ぼく」は警察で、「二十世紀にも十九世紀にも、ジェーン・ハインツなる女性は存在しない」と宣告される。

 

それから、最初は確固たる現実のように見えていた作品世界が、ゆっくりと崩壊しはじめる。

一枚一枚、ひび割れた殻が剥がれ落ちるようにして、物語は過去にさかのぼっていく。ちょうど飛行機に乗って別の場所に移動するように、物語は過去に移動し、そこでまたスタートする。けれどまた物語はひび割れていき、また過去に移動する。

 

そして、アフリカまでさかのぼったところで、作品世界そのものが砕け散る。

狂気のエクリチュールに突入していくのだ。

 

「自分がマルチニークからアフリカへどうやって行ったのか、ぼくにはわからない。飛行機に乗った記憶も何も、いっさいない」

 

現在と過去が逆転し、時間そのものが意味をなさなくなっていく。

 

これはマンサリニアのせいなのか?

それともHIVのせいなのか?

 

「途方にくれてしまった。自分の辿った道がもう思い出せない。迷子になった。ぼくはこどもだ。あてどなく漂うカヌーに乗って、広大なアフリカで迷子になっているこどもだ」

 

やがて「ぼく」とHGの区別がなくなっていく。まるでHGが錯乱し、何を書いているのかわからなくなってしまったかのような混沌。

そのエクリチュールは圧巻。

 

「エクリチュール、それは狂気、狂気であり同時に理性、狂気の理路だ」

 

 

実はわたしは、この作品を読むまで、エルヴェ・ギベールのことを「好きな作家」ではあるけれど、「すごい作家」だとは思っていなかった。「すごい作家」とは何か? それは、見たこともない文章を書く人、新しい世界を切り開いていく人、フロンティアにいる人だ。誰にでもこれくらいのものは書ける、という射程距離の外にいる人だ。

「文学」が有効であるのはその最初の一撃、「外」の世界に触れる瞬間だけだ。

『楽園』はそこに到達していると思う。

悪夢のような楽園は、やがて悪夢そのものに変わり、それを突き抜けていく。

 

 

『ヴァンサンに夢中』の中に『楽園』を指すと思われる小説の構想が記されている。

 

「嘘の旅行記、あるいは荒唐無稽な小説、ヴァンサンとキャンピングカーによる世界一周旅行、凶器のことを考えているのである。たぶん小説の中でヴァンサンは女になるだろう。ジェインという名前にしようか?」

 

そう、この作品は「嘘の旅行記」なのだ。

 

「嘘の旅行」に「嘘の狂気」。

その背後にあるのは、むしろユーモアかもしれない。

どんな悪も、どんな災いも、HGの手にかかれば透明なエクリチュールに変えられてしまう。どこまでも気味の悪い世界なのに、なぜかそこにおどろおどろしさはない。

たぶんそれはHGが世界を見る、視線のせいかもしれない。この世界では、悪意や欲望や病は、力でも脅威でもなんでもない。

ただ、存在しているだけだ。

 

「『わたしらは皆誰もが病人なんですよ』と彼女は言った、『あなただけじゃないですよ、だから病気に人生を乗っ取られてはいけません。ほかのことをお考えなさい。とにかく、生きるしかないんですよ。』」

 

そこには、病に破壊されたりなんかしない、というHGの決意があるのかもしれない。

 

 

January 25, 2001

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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