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真夜中のクーポール

――パリのカフェ――

 

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「手術を終えて回復室から出る時、いますぐ<クーポール>へ牡蠣を食べに連れて行ってください、とナシエ医師に懇願した」

『赤い帽子の男』 エルヴェ・ギベール、堀江敏幸・訳

 

 

わたしがパリに行ったのは、とても暖かい冬だった。ツアーのガイド役のK氏は、「今年は暖冬だから生牡蠣はあたるからやめたほうがいい」と言っていた。まじめなわたしはもちろんこの忠告に従い、クーポールから歩いて三分のホテルに五週間も泊まっていたのに、生牡蠣には一度もトライしなかった。

だから、手術のあとに牡蠣を食べに行きたい、と主張するHGは相当にいかれたやつだと思う。これって、手術のあとに大トロを食べたい、というような感じなんだろうか? (そんなこと思うかな、普通?)

 

HGの作品でディナーといえば、なぜかほとんどクーポールに行く。クーポールはモンパルナス近くの有名レストランで、カフェでもある。

わたしにとって、クーポールはカフェだった。

場所はラスパイユ大通りとモンパルナス大通りの交差点、ヴァヴァン。クーポールのほかに、セレクト、ロトンド、ドーム、と有名カフェが並ぶ。そして、ロダン作のバルザック像が立っている(なぜか外国にきて混乱していたわたしは、この彫刻がロダン作だということに気づくのに、三週間ばかりかかってしまった)。

わたしが泊まっていたホテルは、この交差点から少し入ったところ、グラン・ショーミエル通りにあった。ホテルの向かいにはモジリアーニが最後に住んでいた屋根裏部屋があって、わたしが泊まっていたホテルの窓からその部屋が真正面に見えた。

 

 

最初は、カフェに入る方法もわからなかった。担当のギャルソンがいることも、テーブルで料金を払うことも、すべてが未知の世界だった。どうして入店してすぐにギャルソンが来ないのか、どうして支払いしようと待ち構えているのに自分のテーブルのギャルソンは来ないのか。

わたしとホテルで相部屋だった、フランス語がたんのうなCさんのアリアンス・フランセーズ(語学学校)のクラスでも、一度そんなことが話題になったという(上級クラスなのでフリートークの授業だった)。ある生徒さんいわく、「カフェに入ったらギャルソンがいつまで待っても来なかった。一時間経って、結局店を出た。一体この国はどうなってんだ?」先生の答えていわく。「よかったじゃないですか、一時間ただでカフェにいられて」

 

カフェだけでなく、どの店に入るのも正直言ってつらかった。何が悪いのかわからないけれど、どうも不信なやつを見る目で見られている。同じグループ・ツアーのほかのメンバーもみんな、「お店でセーター見てたらこれ見よがしにたたみ直された」とか、「どうやら見るときはいちいち断らないとだめらしい」なんてことをぶつぶつとこぼしていた。

あるとき小さな本屋さんでほかの客が「ぼんじゅーる」とあいさつしながら入ってくるのに気がついた。それがこっち流なのかしれないと思ったわたしは、それ以降小さい本屋さんも小さい薬局も小さいブティックも「ぼんじゅーる」と言いながら愛想よく入ることにした。すると昨日までは愛想悪かった店員が、「ぼんじゅーる」と愛想よく答えてくれるようになった。それからは不信なやつを見る目で見られなくなった。

 

 

パリでは五週間、同じホテルに泊まっていた。それは少し風変わりな語学研修ツアーで、飛行機と宿泊と夕食とアリアンス・フランセーズの授業に、美術館やヴェルサイユ宮殿やブリュージュ観光までついているというものだった。わたしはそこに一人で参加していた(フランスに五週間も行きたい、なんて友達はいなかった)。

二週間をこえたころから、だんだん仲のいい友達が結束していった(もちろんみんな同じツアーの日本人ばかり)。やがてわたしたちは夕食が終わるとロビーで長話するようになった。話していた内容はたわいのないことばかりだったけれど、外国にいるせいか、同じホテルにみんなで住んでいるせいか、わたしたちは毎晩あきもせず十二時過ぎまで騒いでいた。

あるとき、「日本人がうるさい」と同じホテルのほかの客が言っているらしいと判明した(それはロビーで騒いでいるわたしたちのことではなく、廊下で大声で話している人たちのことだったらしい。ホテルというのものは防犯上ドアは防音されていないので、廊下で騒いじゃいけない)。で、もめごとも嫌だし、どうせだからカフェに行って話そう、ということになった。それから二週間ぐらいのあいだ、わたしたちは毎晩カフェに通った。

 

 

そのころのわたしは、クーポールやセレクトやロトンドがなぜ有名なのかもよくわかっていなかった。エルヴェ・ギベールのエの字も知らなかったころで(まだ一冊も邦訳はなかった)、パリに来るまでクーポールなど存在も知らなかった(旅行の下調べも下手だった)。けれどみんなであちこちのカフェに通った結果、一番いいのはクーポールだ、という結論に達した。

ドームより安かったし、なんとなく雰囲気がよかったし。

クーポール側からすれば、変な集団だったと思う。毎晩のようにやってきて、誰にも分からない言葉で大騒ぎ。しかもいつまでも居座っている。迷惑この上なし。

 

 

クーポールで一番印象に残っているのは、「クーポール」という名のカクテルだ。

別に味がよかったというわけじゃない。ためしに注文してみたら、とてもきつかったのだ。喉が焼けるくらいに。ゆっくり飲むように気をつけたのにアルコールが急激に回って大変だった。「酔っ払ったふりするのも楽しいよね」とCさんは言ったが、酔ったふりなんかしていなかった。ほんとにあっと言う間にすっかり酔っ払っていたのだ。

胃にこたえるのはすぐにわかったので、あわててグラース(アイスクリーム)を頼んで食べた。

けれど案の定、翌日は胃がきりきりと痛んだ。

痛む胃をおさえながらよろよろとアリアンス・フランセーズに行き、机にしがみつくようにしてなんとか授業を受け、ホテルに戻ってくると、フロントにいたオーナーが「さば(元気)?」とにこにこ笑いながら挨拶してくれた。元気じゃねえよ、と思ったので、素直に「さぬばぱ(元気じゃないです)」と答えた。「どうしたの?」という話になったので胃が痛いと答えようとして、えーと、頭が痛いは「じぇいまららてっと」だったなあ、と思った。「てっと」が「頭」だ。でも「胃」はなんと言うのかわからない。仕方がないので、「じぇいまーる」と言って胃を指し示した。「すとま?」とオーナーが訊いた。「stomach」だと思ったわたしは、なんだ、この人ほんとは英語もできるのか、と思いながら、「うぃ、すとま」と答えておいた。

あとで辞書を引いたら、フランス語で「胃」は「えすとま」だった。たぶんオーナーは「えすとま?」と言っていたのだろう。

 

 

やがてわたしたちは毎晩、閉店まで騒ぐようになった。オーダーストップが夜中の二時か三時とかで、それからまだ一時間ぐらい、店は開いていたと思う(いま手元のガイドブックを見ると、クーポールのオーダーストップは二時になっている)。

 

あるとき、クーポールでのことだったか、ドームでのことだったか忘れたけれど、別のテーブルにワイン・ボトルを運んできたギャルソンがコルクを抜いていた。見るともなく見ていると、どういうわけかそのギャルソンは抜き取りに失敗して真ん中でコルクを折ってしまった。毎日やっていることのはずなのに。

わたしたちは笑いをこらえるのに必死だった。

 

またあるときは、スコットランドの四人組がやってきた。スカートをはいた中年の男性が四人。やがて四人はテーブルを囲んで民謡か何かを歌いはじめた。

時刻は真夜中で、もうオーダーストップのあとだったと思う。

どうしてパリでスコットランドの民族衣装の四人組が真夜中にカフェにいるのかよくわからなかった。イベントの打ち上げだったのだろうか。それともあの四人はどこに行くのもあのスカート姿なのだろうか。

 

 

わたしはクーポールのキール・シャンパーニュというカクテルが好きだった。シャンパーニュ・ベースのキールだ。まあ、これに限らず、キールはどこで出されるものも好きだったけど。

日本に帰ってからわたしは、何度もキールをオーダーした。高級なレストランでも頼んでみたし、フランスのカフェの支店でも頼んでみた。でもいまのところ、あのときフランスで飲んでいた、あのキールの味には出会ったことがない。

どうしてあんなに味が違うんだろう? どの材料を省いてるんだろう? キールだけじゃない、日本で食べるバゲットも、日本で食べるクロックムッシューも、かならずどこかがパリで食べたものとは違う。ときにはまったく違うことさえある。

そういうことでわたしは、フランスは遠い国なんだ、と思う。

 

 

もうすぐ日本に帰るという日、パリの夜景を見ようとトゥール・モンパルナスに上った。展望室からはライトアップされたトゥール・エッフェルが見えた。それ以外にも有名な建築物はすべてライトアップされていて、まるで地図を見ているようにきれいに闇の中に浮かび上がっている。

そして一番手前には、セレクトやロトンドの看板が見えた。

あのとき、あのパリにはまだ、HGがいたのだろう(イタリアにいたかもしれないけど)。そして死の影におびえながら、毎日二時間、原稿を書きつづけていたのかもしれない。ひょっとするとわたしたちがクーポールのカフェでグラースを食べているその奥で、HGが牡蠣を食べていたこともあったかもしれない。

そう思うと突然、その「死」がリアルになる。

 

 

いつかまた冬のパリに行くことがあったら、今度こそクーポールで牡蠣を食べてみたい。そうすればなぜ手術のあとにHGが「牡蠣を食べたい」と強く望んだのかがわかるかもしれないから。それともそれはわたしにとって、永遠のなぞだろうか。

 

 

April 25, 2001

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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