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◆ 基本事項 |
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このサイトは2001年、外国文学の書評サイト、Le
Paradisの中のコーナーとしてはじ まり、2002年5月15日に独立しました。 趣旨としては、「運慶を見に行くための手引き」を目指しています。というのも一般の ガイドブックでは、どこに行けば運慶を見ることができるのかわからなかったからで す。 また、リストにおける運慶作品であるかどうかの基準は最大限に広げています。基 本的に寺社側が運慶作であると主張している作品はできるだけ収録するつもりで す。実際に作品を見て、ご自分で考えていただきたいと思っています。 ランキングのほうは項目を整理するため、少し基準を強化しています。どの作品が、 どういう理由で人のこころをひきつけているのかを知る目安にしていただけましたら 幸いです。 リンクはご自由にどうぞ。事後連絡などいただけるとうれしいです。バナーは持ち帰 ってご使用ください。直リンクはサーバーから禁止されています。 http://leparadis.fc2web.com/unkei/ 無断転載を禁じます。 |
◆ 管理人について |
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管理人はKAMIRA S.(KS)です。自己紹介はこちら。本館のほうにありますので、ブラ ウザの「戻る」ボタンで帰ってきてください。 管理人へのメールは http://leparadis.blue.coocan.jp/mail.htm からどうぞ。 なお、ここサイトは特定宗教とは関係ありません。宗教についての話題はご遠慮く ださい。 また、管理人は運慶作品を「仏像」ではなく「彫刻」としてとらえております。したがっ て歴史的見地ではなく、現代芸術と同じ基準で見ております。ミケランジェロを見る ときもジャコメッティを見るときも、同じものさしで見ていると思います。その点は変え られませんのでご了承ください。 |
◆ 管理人と運慶の出会い |
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思いおこせば運慶との出会いは、中学生のときに読んだ夏目漱石の「夢十夜」の第 六夜だった。高校受験のためにとある私立高校の過去問を解いていたら、国語の問 題として出題されていたのだ。 その中で運慶は明治の世の中に現れ、仁王を作っている。その姿を見物に行った 主人公は、迷いなくノミをふるう運慶に感嘆の声をあげる。すると、そばにいた見物 人がこう告げる。 「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっ ているのを鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出す様なもの だから決して間違う筈はない」 (『文鳥・夢十夜』 夏目漱石・著 新潮文庫) この小説を気に入ったわたしは、文庫本を手に入れて、その後もときどき読み返して いた。 |
けれどこの出会いが運慶の彫刻を見に行くことにつながるのはずっと先、ミケランジ ェロとの出会いを通してだった。 そもそも最初にミケランジェロに魅かれたのは、やはりこれも中学生のころ、美術の 教科書でダヴィデ像を見たときだった。と言ってもそれはその場限りのことで、特に わたしが彫刻に興味を持つようになったわけでもなんでもなかった。 ところが、社会人になってしばらくしてから、何の気なしに行ったイタリアのミラノで、 わたしはミケランジェロと劇的な出会いを果たした。ガイドブックに推薦されているか ら、という理由で足を運んだ美術館で「ロンダニー二のピエタ」を目にしたのだ。わた しはこの像に衝撃を受け、もっとミケランジェロを見たいと思うようになる。そこで数年 後、ミケランジェロを見るためにフィレンツェ・ローマの旅に出たわたしは、ついにダヴ ィデ像をこの目で見た。 |
ダヴィデ、ピエタ、バッカス、キリスト、モーゼ・・・・・・ミケランジェロの彫刻の魅力 は、その静けさだと思う。ロダンのようにオーバーな表現をしない、ベルニーニのよう にドラマチックじゃない。ただ、立っている、座っている。手を伸ばしたり、身をくねら せたりしない。それでいて、生きている。 わたしはその静けさが好きなんだと思う。 |
こうしてすっかりミケランジェロにかぶれたわたしは、いろいろと資料をあたっている うちに、こんなエピソードにたどりついた。 ダヴィデ像を完成させたとき、ミケランジェロは「どうしてこんなにすばらしい像が作れ たのですか」と訊かれたらしい。するとミケランジェロはこう答えたという。 「わたは大理石からダヴィデらしくないところを削っただけだ。ダヴィデははじめから 大理石のなかにいたんだ」 この話を聞いたとき、すぐに「夢十夜」に出てくる運慶の言葉が頭に浮かんだ。天才 というのはそういうものなのか、とそのとき思った。 (田中英道の『運慶とバロックの巨匠たち』によると、運慶がこのようなことを言った、 という資料はない。むしろヨーロッパ留学をしていた漱石はミケランジェロの言葉の ほうを知っていたのかもしれないらしい) |
思えばそれまでわたしはヨーロッパの文化遺産はかなり見ていたが、日本のものは ほとんど知らないまま過ごしていた。パリ、ロンドン、ローマ、フィレンツェ、ウィーン ……どの街の教会も、美術館も網羅して見てきていたのに、京都・奈良の寺社・博 物館にはほとんど足を運んだことがなかった。 こうなると一度運慶を見てみなければ気がすまない。 こうしてわたしは運慶の彫刻のある場所を百科事典やインターネットで調べあげ、 興福寺北円堂に行き……無著・世親菩薩立像に出会ったのだ。 ここまでくれば、もうこの像を目にしたことのある人ならもうわかるだろう、一度無著・ 世親像を見た人間には、運慶が天才であることを否定できるわけがないことを。 その像は仏像や仏教について何も知らないわたしでも一目で理解できるほど、完璧 な写実性を持っていた。 それはロダンにもベルニーニにも勝るとも劣らない、圧倒的な存在感だった。 そして……その像はわたしの好きな、静けさをたたえていた。 ただ、立っている、見つめている。それなのに、生きている。 まぎれもなく生きていて、この世界を見つめている。 その、大理石の彫刻にはない、玉眼の瞳で。 列車に乗って自宅からたった二時間でこんな像に出会えることをいままで知らなか ったなんて、衝撃だった。 もっと多くの人に見てもらいたい、そう思った。 |
そんなわけでこのサイトはいま、ここに存在している。 |
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