高野山・金剛峯寺

 Kouya-san / Kongoubu-ji

   
         
         
     所在地 : 和歌山(奈良市登大路町48)

 最寄駅 : 高野山内バス・千手院橋から徒歩三分で金剛峯寺。

        同じく千手院橋から徒歩六分で高野山霊宝館。

 料  金 : 高野山霊宝館600円(2001年現在)。

        金剛峯寺、霊宝館、金堂、根本大塔、徳川家霊台、大師教会の共通

        券は1500円(2001年現在)。

   
         
         
    普通、高野山といえば南海難波駅から出ている有料の特急で行くものだと思うけれ

ど、わたしは堺東よりさらに南に住んでいて、時間的にあまり変わらないようなので

急行で行くことにした。でもこの急行、後半はずっと各駅停車になってしまう。しかも

乗りかえなしで八十分もこの列車に乗っていなきゃならない。

どうもわたしには一時間以上乗る列車というのは普通もっと速い、という先入観があ

るらしく、八十分も各停に乗っていると、不思議な気分になってしまった。いつまでた

っても進んだ気がしないし、あまりにも長いあいだじっとしているので、だんだん自分

が何をしに来たのかわからなくなってしまう。しかも途中で車両が半分に減るという

アナウンスが入り、あわてて前のほうに移動しなきゃにならなかったりして……とに

かく高野山は遠かった。

やがて列車が山間部に差し掛かると、そこはもう山また山の世界。曲がりくねった道

をとことこと走っているので、列車はさらにスピードダウンする。しかも、いつのまにや

ら単線になっている……。

で、恐ろしく長い時間が過ぎたあと、ようやく終着駅である極楽橋につく。でもそこか

らまだケーブルに乗らなきゃならない。接続は完璧なのですぐに発車する。トイレにい

くひまはない。

このケーブルがまた、なかなか旅行気分を盛り上げてくれる。

しかし、ケーブルで高野山駅に降りたっても、まだバスに乗らなきゃならない。しかも

このバス、バス乗り場に置いてある路線図を見てもどれに乗ればいいのやらさっぱり

わからない。

結論から言うと、ある程度の本数走っているバスは「奥の院前」行きなので、金剛峯

寺に行きたいときは「千手院橋」で下車して歩けばわりと近い。(ここのバス停のすぐ

近くに観光案内所もあるし、トイレもある)

ただし、最初にきたバスが他のところに向かうバスなら、とっとと駅員さんに「どこどこ

に行きたいんですけど行けますか?」とたずねるのが得策。(もちろん金剛峯寺前や

霊宝館前、金堂前、大塔口に行くバスなら金剛峯寺の近くに行きます)

ちなみにこの日のわたしはスルッとKANSAI3dayチケットを使っていたので、ここのバ

スは乗り放題だった。もしもバスに乗れるチケットを用意していない場合は、一日乗

車券を買ったほうがいいと思う。三度乗れば元が取れるらしいので、往復と現地の移

動一回で元が取れる計算。ちなみにバスもケーブルの到着時刻にしっかり乗り継ぎ

されていて、ここでもトイレにいくひまはなかった。(最初の電車に乗る前にかならず

トイレに行っとかなきゃ、ってことですね)

こうしてようやく現地に到着したわたしたち。

まず最初に向かったのは金剛峯寺(↓)。

金剛峯寺には狩野探幽の襖絵や、日本で一番広い石庭(↓)などがある。

この石庭はど迫力。

あと、意外と面白かったのが台所。昔の大規模な台所が見られる。まるで時代劇の

セットみたいでおもしろい。

金剛峯寺を出ると、いよいよ霊宝館に行って、お目当ての八大童子を見る。ちなみに

これは常設ではないので、夏の特別展のときにしか展示されない。しかも、その年に

よって展示内容が変わるので要注意。(わたしの行った年は二体のみの展示でし

た)

あと、ここには弘法大師ゆかりのものがいろいろある(当然ですが)。弘法大師の直

筆の書はなかなか力強い文字で、さすがに達筆(あたりまえ)。

霊宝館を出ると斜め前にある壇上伽藍に向かう。金堂や根本大塔など、建物が寄り

集まってるところ。根本大塔は高野山のシンボル(よくパンフレットやポスターに載っ

ている)。と言ってもこのあたりの建物はほとんどが後年に再建されたものらしい。そ

れに入れるのは金堂と根本大塔(↓)のみ。

……で、あとはみんなおんなじようなものだ――と思い込んだまぬけなわたしは、肝

心の唯一古い建物で国宝の不動堂をちゃんと見てこなかった。(八大童子がもともと

あったのは不動堂なのに。何を見に行ったんだか……)

壇上伽藍を見終えてもまだ時間があったので、再びバスに乗って奥の院に向かう。

奥の院には織田信長とか、豊臣秀吉とか、武田信玄とか、有名人のお墓がたくさん

ある。それに巨木がたくさんあって、ハイキングコースとしてもいけてる。そこで行き

は中の橋までバスで行き、奥の院を見た後、帰りは一の橋まで歩いた。ただ、ちょっ

と立ち止まると巨大な蚊がたかってきて困った。ここは聖地なので禁煙ということに

なっているけれど、蚊はたたいてもいいんでしょうか? やばいのかな?

で、一の橋に着くとすぐにバスがやってきたので、そこから帰路につくことにした。

ところでわたしはおみやげは買わなかったけれど、あとで友人に「ものすごくおいしい

ごま豆腐があったのに」と言われてしまった。八大童子も二体しか見ていないし、不

動堂は見そこねるし――もう一度行かなきゃならないかも。

それにしても高野山は涼しかった。夏の暑い盛りにおすすめ。

   
         
         
       八大童子・矜羯羅童子立像    
         
     製作年 : 鎌倉時代(1197年)

 木造彩色・玉眼

 不動堂の本尊、不動明王坐像の眷属。

   
         
         
    八大童子は運慶の絶頂期の作と言われている。これを最高傑作とする人もいるぐら

い。像のどこにも「運慶」の文字はないけれど、神奈川常楽寺の胎内から出た運慶

の名の入った月輪型の木札と同様の木札がX線写真により確認されているので、ま

ず真作と考えられている。ただし、八体のうち、彩色のほどこされていない二体は後

補(おそらく火事で焼失したらしい。もったいない)。

矜羯羅・制多迦は運慶様、恵光・清浄比丘が快慶様、と言われている。

この矜羯羅(こんがら)童子、なにやらどこにでもいそうな日本人の子どもの顔をして

いるのがおもしろい。北円堂の無著・世親像と同じで、この像もデフォルメされている

わけでもなく、美化されているわけでもないのに、そのリアルさだけで見る者をはっと

させてしまう。身に纏っている布のひだなんかはとにかく見事。

でも髪の毛だけはリアルじゃない……。

   
         
         
       八大童子・制多迦童子立像    
         
     データは矜羯羅童子と同じ。

 (「制た迦」の「た」は正式な漢字が表示できないようなので、「多」にしました)

   
         
         
    制多迦(せいたか)童子は通常怒りの表情をしているらしい。この像も全身赤く塗ら

れているけれど、表情は知的。怒り、という雰囲気はない。

顔、体系ともに、矜羯羅童子に比べるとややデフォルメした感じに作られている(当

然こっちも髪の毛はリアルじゃない。どうなってるのかいまいちわからない髪型)。

それにしてもこの像は色がきれいに残っている。特に服の模様がかなりはっきりして

いて、完成成当初はさぞや豪華だったのだろうな、と思わせる。

ぽってりと出ているお腹がかわいい。

   
         
         
       

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