HG−10

 

『悪徳』 エルヴェ・ギベール

黒木實・訳、ペヨトル工房、2,000円

 

L−016

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どものころ、理科室の人体模型が怖かった。歯医者に行くのが怖かったし、暗闇が怖かった。

別にわたしだけではないだろう。

いまもわたしは、怖いものは好きじゃない。わざわざ自分から怖いものを見に行ったりはしない。怖い話も好きじゃないし、血を見ると全身の力が抜ける。

けれど恐怖心が強いからこそ、気持ちの悪いものを見て憑かれたようになることがある。何日もその気持ちの悪いものが頭を離れなくなる。夜中にひとりでトイレに行くのが怖くなり、ちょっとしたことでおびえたりする。

そして、そういう恐ろしいものとどうしても折り合いをつけられなくなったら……もう、正面から向き合うしかない。

 

 

『悪徳』の中でHGは、そういう何か気持ち悪いもの、気持ち悪すぎてどうしようもなく印象に残ってしまうものを丹念に集めている。

悪徳、というよりは悪趣味、のほうが近いかもしれない。

「身辺雑貨」では悪趣味なアイテムをコレクションし、「旅程」では悪趣味な場所やそれにまつわる悪趣味なエピソードをコレクションする。

 

身体に入り込む器具、死体、子ども、畸形――HGの興味は、そうしたものに集中している。

そしてとりわけ、死んだ子どもの写真、死んだ子どもの墓、死んだ子どもの死体保存……と、死児にまつわる多くの断章が並ぶ。

幼くして子どもが死ぬこと、これは人生で最悪の出来事だ。

HGはまるでそうした不幸に魅入られたかのように、死児にまつわるエピソードを集める。

 

 

けれどHGが悪趣味なものを好んでいた、とは言えない。

 

たとえば「身辺雑貨」の冒頭にある「櫛」は、『ヴァンサンに夢中』の中ではこんなふうに語られる。

 

「ぼくはけっして櫛で髪をとかさない。塗れているときにはタオルを巻いてごしごしやり、それから指ですいて、形をととのえる」

 

あるいは医師が喉を見るときに用いる「舌圧子」は、『憐れみの処方箋』に現れる。

 

「ぼくはそれが舌を押さえる器具だと思った。

『それはやめてください。ひとりで口を開けられますから』」

 

どちらもHGが日常生活の中でこれらの身辺雑貨を避けていたことを示している。

 

 

たぶん、完全に好きなものや完全に嫌いなものは、ひとのこころを惑わさない。

嫌いなのに気になって仕方のないものや、好きだったのにつらい思い出になってしまったものが、わたしたちを悩ませる。

たとえば、愛するものの死体のように。

 

 

もしもHGが完全に悪徳に浸りきっていたのであれば、わたしはいまこの文章を書いていないだろう。あるいはHGがこの世界に何の疑問も持たないほどこの世界の規範に忠実な人物だったとしたら、そのときもわたしはこの文章を書いていないだろう。

けれどHGは死体やSMについて書くことはあっても、暴力について書くことはなかった。病や絶望について書くときにも、快楽について書くことを忘れなかった。

その二面性は世界を脅かす。

強固な世界に揺さぶりをかける。

HGはつねにそうした二面的な存在でありつづけた。いかなるステレオタイプにおちいることもなく、平然と綱渡りをつづけてみせた。

 

きっとそのせいなのだろう……いまもHGがわたしのこころを惑わせつづけているのは。

そして死児の墓を暴くようにして、わたしたちはHGの残した書物を読みつづけるのかもしれない。

 

 

 

June 19, 2001

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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